仕事のアウトソーシングが行き過ぎて、する仕事が無くなった。
今日は、仕事のアウトソーシングについてお話します。
マネジメントの教科書では、「自分たちのコアな業務に集中して、周辺業務を外部にアウトソーシングしましょう」とか書いています。
それはそれで正しいのですが、全体の業務バランスも考える必要があります。
ある会社の間接部門では、情報収集業務とその情報の分析評価業務の2業務がありました。
情報収集業務はルーチンワークで、分析評価業務は専門のノウハウが必要でした。
その会社では、最初、情報収集業務に派遣社員は1人しかおらず、正社員で業務を回していました。
なお、その業務に従事している正社員は、それしかできず配置転換ができないという事情がありました。
情報収集量が多くなり、収集業務が忙しく派遣社員が増えていく状況が続きました。
それで正社員と派遣社員が半分の割合になったときに、経営者が動きます。
正社員をその派遣会社に出向させて、その業務自体を派遣会社に請け負いさせました。
出向社員は、給与の面では不利益は被らないものの、指揮命令は派遣会社に移ります。
出向した正社員は机もそのままで業務を続けたので、微妙な位置付けとなりました。
会社は、そんな形で情報収集業務を完全に派遣会社にアウトソーシングしたのでした。
業務の「選択と集中」の一環として経営判断がされました。
おそらく、出向社員は会社には戻れないでしょう。いつもアウトソーシングする側に入れるとは限らない事例でした。
次の、アウトソーシングのお話しですが、ある工場の話になります。
その自社工場は品質管理が厳格で高コストの操業体質になっていました。
操業も月初80%から予定を組み、突発の事態に備えて月末に100%とする様な悠長な組み方をしていました。
また、自社工場は少数の主力商品を大量に製造するタイプの工場で、多品種の小スケール生産には不向きでした。
多品種の小スケール生産は、外部の製造会社に委託して生産してもらう慣例になっていました。
1つの物が大量に売れる時代ではなくなって、自社工場の稼働率が下がり始めました。
それでも、自社工場は、多品種を作るビジネスモデルに移行しないで、外部の製造会社に委託し続けます。
自社工場は、高品質ですが過剰とも思われ、稼働率が下がり、する仕事がなくなり始めました。
原価償却費や人件費が高止まりして、完全に競争力を失っています。
そんなことを続けていた自社工場は、2工場が統合されて1工場体制にして生産性を維持することになりました。
1工場の敷地と設備は他社に売却され、異動できない人は、他社に転籍となってしまいました。
アウトソーシング先は時流に乗った相手を選ぶことができます。
しかし、それ以上に自社が、自分たちしかできないコアな強みを持っていなければ、自分の仕事が流出するだけで自滅してしまいます。
そのバランス取りが重要となります。
時代の変化に対応出来るように、変わり身の速さとそのスピードが必要になります。
最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。
と進化論者のダーウィンが言ったといわれています。
現代のビジネスにも通用する言葉だと思います。